コミュニケーションについての雑感④ 自己紹介・自己PR
新しい人間関係がはじまる時につきものなのが「自己紹介」ですよね。
自己紹介のことを考えただけで気が重くなる、という方も多いのではないでしょうか
しばらく前ですが、何かで読んだ最近の若者の傾向(しばらく前なので最近とはいえませんね 笑)
以前だったらこのサークルに入っての抱負などを積極的に語る若者が多かったのが、最近は「人付き合いが苦手なので、みなさんの方から話しかけてきてくださるとありがたいです」というような自己紹介が増えたと。
自分から寄っていくのではなくて、よってきてくれるのをじっと待つ。
別に今はその是非をいいたいわけでも、どうすべきかを言いたいわけでもありません。
その背景にどんなことがあるんだろうと考えたいんです。
様々なケースが考えられますが、そのさまざまを知る・・・・全体像の変化そのものを時代の流れとともにつかんでいきたいんです。
それが私にとっても、今の方々と交流していくベースになっていくと思うので。
そもそものところ、日本人って自己紹介が得意だったのかどうかという問題があります。もっとはっきりいえば自己PRが得意だったのかどうか。
「能ある鷹は爪を隠す (能なし鷹はひけらかす)」「出る杭は打たれる」「郷に入っては郷に従え」「長いものには巻かれろ」・・・・・等々のことわざを生活の知恵として伝承してきた国民です。自分のことを誇らしげに語る、宣伝するというのはあまりよく思われないことでした。
「男は黙ってサッポロビール」のCMに出ていた三船敏郎さんが出演されていた黒沢映画「椿三十郎」でもこれに通じるセリフがあります。
「本当にいい刀は鞘におさまっているものですよ」
場合によってはきちんと自己PRをして自分を売り込まなければならないこともある、でもそれをいつもいつもやっていては人間として品格がないと思われる時代がずっと続いていたわけです。
それは「そうあるべきだ」というのもあるでしょうけど、一番大きかったのは、そう思われてしまうから、普段はね立たないようにした方が生活しやすい、という生活の知恵でもあったと思います。
*余談ですが、現在放送中のアニメ「薬屋のひとりごと」第1話でもそんなセリフがありました。
本来が文字が読める等々優れた面をもっているのに、何も出来ない下女として振舞っていた主人公が語るセリフ
「世の中は無知なふりをしていた方が立ち回りやすい」
それがある時期から一気に欧米流の自己PR文化が流れ込んできたわけです。
私は学校勤めだったこともあって企業面の方には疎いですが、終身雇用から成果主義に切り替わったのと同時期だったようにおもいます。具体的にいえば、もっと自分を高く評価してくれる(買ってくれる)会社があればそちらに移るというアメリカ流の発想。
これには自分を売り込むことが不可欠ですよね。
「遠慮」はこの国では美徳でもよその国では美徳ではない。
それが対アメリカ企業相手というだけではなく、日本国内の会社相手でも急激に要求されるようになったと思います。
かつての教え子が大学生になり就職活動をはじめた時に、臨時でまた家庭教師のようなことを頼まれたのがあいついだ時期がありました。エントリーシートの書き方が分からないから助けてほしいと。
すごいですね・・・・いろんな課題の文章を書かせられ、次々提出させられる。
学生たちが一番悩んでいたのが「自己PR」関連でした。もうこれは個人的に苦手というよりも、日本人の 血 がそうさせているのではないか、というくらいの感じでしたね。
「欠点だったらいくらでもあるんだけど・・・」
へりくだる文化ですね。日本ではずっと自分をさげすむのが相手への礼儀ですから。
実際のところは知りませんが、伝え聞くところによるとアメリカなどでは相手の家に招待されると「これは我が家自慢の料理です」という演説がはじまることが多いと。日本だったら「おそまつさまでした」とかいって、とにかく自画自賛しないことが多いですよね。
まだまだ生活の中ではそういった空気が多いのに、新しい集団に入るさいの自己紹介や、就職とかのエントリーシートでは、急に欧米人並みの行動を求められ、それができなければ「だから日本人はダメなんだ」と言われる。
日本式がいいとか欧米式がいいとかいう是非の問題ではないんです。
長い間の歴史や文化を無視して形だけ導入すると、大きな歪を産みだすという典型的な事例だと思うのです。
なのに、個々人の資質そのものが完全否定されるような空気。
ある意味では「相手への気配り」「謙遜」が出来る人の方が、ダメ扱いされ、心を病んでしまう・・・これはいくらなんでも気の毒だと思うんですよね。